ほー原人のブログ

原人からヒトへと進化するための考察。法律関係がメインとなると思います。

憲法9条改正についての考察

 憲法9条1項2項をそのままに、同3項または9条の2で自衛隊を明記するという安倍首相の5月3日の提案を検証してみたい。まず基本に忠実に条文を確認しておく。

日本国憲法第9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 大雑把に言えば、1項は国家(ないしは政府)の作用面の規定で、戦争の禁止を定めており、2項は国家の組織面の規定で、戦力の不保持を定めている。
 まず単純に3項に自衛隊を規定した場合を考える。

3 日本国は自衛隊保有する。

  これだと1項2項の制限は3項の自衛隊にかかることになる。したがって、自衛隊国際紛争を解決する手段としての(1)戦争、(2)武力による威嚇又は武力の行使をすることができず、(3)戦力には当たらない範囲の組織に制限されることになる。事実上、現状追認を明文化したことになり、憲法9条をめぐって過去に展開されてきた議論をそのまま制度として固定化することを意味する。
 これは安倍首相ら改憲派が望まないことだろう。

 そこで次のような規定の仕方が考えられる。

3 前二項の規定にかかわらず、日本は自衛隊保有する。
※仮に9条の2に追加する場合、「前条の規定にかかわらず」となるだけで、特に違いは生じない。

  「前項の規定にかかわらず」というのは、まず原則を明らかにした上で例外を定める時に用いられる立法技術である。漢字を当てると「拘わらず」である。「関わらず」や「係わらず」ではない。漢字なら意味も一目瞭然なのだが、法令文ではひらがなで表記するのが一般的だ。
 この例でいうと、1項で戦争の禁止、2項で戦力の不保持という原則を明らかにして、3項でその例外として自衛隊保有することを定めたことになる。したがって、自衛隊には1項2項の制限が及ばないから、自衛隊は1項が禁止している侵略戦争も(政策的な当否は別として憲法上は)禁止されないこととなる。
 しかし改憲派でも1項の戦争の禁止まで全面否定する論者は極めて少数である。この条項は、1928年のパリ不戦条約から国際社会で受け入れられた戦争の違法化の流れを組むもので、1945年の国連憲章(日本は1952年に加盟)、その後制定された多くの国の憲法でも同様の趣旨の規定が置かれているとされる(*1)。
 実は安倍首相がいう「自衛隊違憲とする議論が成り立たなくするために、加憲して自衛隊を明記する」という主張はこれを狙っているのかもしれない(*2)。しかし、安倍首相と彼を支える憲法改正さえできれば何でもいいと考える一握りの勢力を除くと、自民党内ですらコンセンサスが得られないだろう。もちろん国民投票がある憲法改正は、これまで安倍内閣が強行してきた15年安保法制や組織犯罪処罰法改正のようにはいかない。
 常識的なアプローチを考えるなら、よりきめ細かく例外を規定する必要がある。

3 前二項の規定にかかわらず、日本は、個別的自衛権を行使する目的で、自衛隊保有する。

  これなら1項2項で原則全面禁止されている武力の行使のうち、個別的自衛権の行使のみ例外的に可能であることが明らかとなる。
 それではこの要領で何を可能として何を禁止すればよいか。すなわち上の設例の「個別的自衛権を行使する目的で」の部分には他にどのような活動が列挙されるべきだろうか。
 国連憲章は紛争の平和的解決を原則とするが(第6章)、42条以下で例外的な軍の行動を定めており、さらに51条で個別的自衛権および集団的自衛権を定めている。しかし、どの活動に参画するかは国民的な理解と合意が存在しているとは言えない。
 例えば、日本は個別的自衛権を行使できるかという論点について考える。「個別的自衛権保有していて行使もできるが、集団的自衛権保有しているが行使はできない」と標語的に言われるが、これは厳密ではない。
 昭和47年政府見解とその前後で現れた国会答弁を総合して判断する限り、従来日本政府は個別的自衛権のうち日本の領域内に限った必要最小限の武力の行使のみを許容する解釈を採用している。つまり個別的自衛権の一部のみしか認めていない。これは領域外での自衛戦争まで拡大すると、警察力の延長としての自衛のための活動としてでは説明が難しくなるからである(*3)。
 したがって、他国領域に存在する基地から日本に向けたミサイルが今まさに発射されようとしているとき、この基地を攻撃して発射を阻止できないことが不都合だと批判される(フルスペックの個別的自衛権が行使できるなら阻止できる)。
 あるいは日本も1992年以降参画している国連平和維持活動(PKO)ですら問題がある。日本のPKO活動の根拠となる国際平和協力法の立法段階では戦争に巻き込まれる可能性があるとする当時の野党が反対した。これに対して政府与党は、PKOが紛争当事者の間で停戦合意が成立したのちの平和維持のための活動であることから(*4)、国際紛争を解決するための武力行使には当たらないとして強行した経緯がある。
 ところが1994年のルワンダ内戦以降、一度成立したと思われる停戦合意が破棄されてPKO活動中に紛争が再燃したり、国連自体が紛争当事者として積極介入したり、あるいは平和の維持が困難な地域の避難民や国連職員など文民の保護といった要請が加わった。その結果、派遣された自衛官にとって、当初想定した以上の過酷な状況に直面する危険性が増えている。PKO活動が変質して、当時の野党の懸念が現実に近いものとなってしまったともいえるだろう。
 日本として何をやって何をやらないか、特に相手国領域内のミサイル基地の攻撃やPKOの変質にみられるような境界事例の検証と線引きを行うことは重要である(*5)。憲法を改正する前に国民的な議論を成熟させない限り、3項加憲の成案は作れないのである。
 安倍首相のメッセージを受けて、勢いで押し切りたい改憲派が考えるほど簡単な問題ではない。

 私見では、個別的自衛権は積極、集団的自衛権は消極、国連の活動については積極である。しかし積極といってもあらゆる活動を認めるべきとは思わないし、集団的自衛権にしても同盟関係を前提に地理的要件で絞れば、認められないとも言い切れない例があるだろう。きめ細かい設例を通した検証が不可欠である。
 また特に国連の活動に関して、一度参画しても現地情勢が大きく変化した場合の自衛隊の安全な撤収の確保をどうするかは大きな課題だと思われる。
 
以上

*1 西修駒澤大学教授の研究によると、2016年6月現在、世界には成文憲法を持つ国が188カ国あり、そのうち84%にあたる158カ国の憲法に平和主義条項が設けられている。

*2 もちろん1項2項の制限が及ばないとしても、自衛隊憲法の外に置かれるわけではないから、依然合憲性を検証されることにはなる。例えば、指揮命令系、文民統制、予算などの面で明文規定はなくとも憲法の趣旨に反すると評価される可能性はある。

*3 私見では、現行憲法の解釈としてはこれが正当だと考える。

*4 PKO参加5原則では、
(1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
(2)国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
(3)当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
(4)上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。
(5)武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、いわゆる安全確保業務及びいわゆる駆け付け警護の実施に当たり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能。

*5 特に日本政府は「何をやらないか」を語ることを嫌うように思う。政府の活動は極力白紙委任に近い状態にして、その時々で自分たちの好きなようにふるまいたいという思惑が強すぎるのだ。
 なおこれに関連して、現行法で自衛隊の活動をポジティブリスト形式(許可される活動を列挙する。その他は原則禁止)で定めているところ、ネガティブリスト形式(禁止される活動を列挙する。その他は原則許可)に切り替えるべきであるとする議論がある。いまだ既成事実さえ作ってしまえば勝ちという政治手法を多用する節操のない自民党に信頼がない。またネガティブリスト形式を主張する論者の多くは自衛隊制服組出身者が多く、彼らのメンタリティは軍人的な作戦行動を自由に遂行できれば便利というプラグマティズムに基づくものに過ぎないこと。これらを理由に、現状では消極と解したい。

的外れな自衛隊明記論 再掲

  5月3日に安倍首相(*1)が改憲派集会(*2)に公開したビデオメッセージの中で行った憲法改正に関する提案を受けて、にわかに改憲議論が加速している。安倍首相の提案とは(1)憲法9条1項、2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む、(2)高等教育の無償化である。

 憲法9条に関しては過去に一度考察している。
 あらゆる国家の機関は、その組織と作用(活動)の2つの面で、憲法(その他あらゆる法規範)の規定に適合していなければならない。その組織が憲法に適合しているか、作用が憲法に適合しているか、常にチェックされ続ける必要がある。
 日本国憲法はすべての国家機関を明文規定で定めてはいない。したがって自衛隊について明文規定がないからといって、ただちに自衛隊保有できないということにはならない。一方、自衛隊を明文規定で定めたとしても、その組織と作用が憲法に適合しているか常にチェックを受け続けることになる。明文で自衛隊保有を定めたとしても、憲法の枠を超えた組織や作用については憲法違反となる。
 自衛隊違憲論をなくすために憲法9条を改正したいという主張はまったく意味がない。

 憲法が統治機構に関する制限規範である論理的帰結である。当然の話なのだが、不思議なことにこのことを指摘している人を他に見かけない。
 もちろん当然すぎる話だから指摘する人がいないのではない。9条改憲派にとっては不都合な真理であり、護憲派にとってはそもそも自衛隊を容認したくない。
 双方ともイデオロギーに染まった結論ありきの立場に立ってしまっていることが不幸の始まりである。しかし重要なポイントなので再度強調しておく。

例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊違憲とする議論が、今なお存在しています。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。
 私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、「自衛隊違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。

 この安倍首相のビデオメッセージが浅薄なものであることが理解できるだろう。自衛隊の任務はきわめて過酷に及ぶことがあることは事実だが、社会を支えるために汚れ仕事を引き受けているのは、ひとり自衛隊に限られるものではない。むしろ公務員として少なくない身分保障と福利厚生が与えられている自衛官は、日本では恵まれている部類である(*3)。

 右も左も自衛隊を特別視しすぎなのだ(*4)。
 イデオロギーから非武装中立論を大上段に振りかざし、自衛隊を不要とする勢力。一方で国家公務員として最大の組織票を持つ自衛隊を懐柔しようとする意識のみから自衛隊に媚びを売るだけの勢力。どちらも自衛隊はフルスペックの軍隊に違いないという思い込みからスタートしている。
 軍隊に決まっているのだから、憲法9条に違反しているに決まっている。したがって憲法を護持するためには自衛隊を廃止するしかないと主張する人たち。軍隊に決まっているのだから、自衛隊違憲とする憲法9条は悪である。したがって憲法を改正するしかないと主張する人たち。
 実は多くの護憲派改憲派は同族なのだ。

 自衛隊もふつうの国家機関の一つとして、憲法との適合性を検証すれば足りる。そしてそれは国家の機関である以上、永遠に検証され続けるものなのである。

以上

*1 本人は首相としてではなく、衆議院議員であるところの自由民主党総裁として公表したものであるとうそぶく。合議体たる内閣あるいは国務大臣憲法改正についてイニシアティブを取ること、特に内閣総理大臣憲法改正原案を通常の議案と同様に憲法72条に基づいて国会に提出できるかについては争いがある。一義的に憲法99条が定める憲法尊重擁護義務に抵触して、ただちに違憲とは断定できないのは事実である。
 しかし自民党は例えば靖国参拝で、閣僚といえども信教の自由はあるだの、国会議員として私人の立場でだの、ことあるごとに詭弁の限りを尽くして政教分離を骨抜きにしてきた実績がある。これとまったく同じ発想が透けて見える。ことあるごとに規範を守るという意識より、自分たちが気に食わない憲法を少しでもないがしろにしてやろうというスタンスが先走る。このような者たちが政治権力を掌握している限り、自分たちのやりたいことの障害になれば、簡単に憲法を無視するだろう。
 憲法を守る意思も能力も持たないまま条文の表面だけいじっても、すぐにまた憲法が邪魔になるだけだ。僕が筋金入りの改憲派であるにもかかわらず、自民党が幅を利かせている下で憲法改正をしても意味がないと主張するゆえんである。

*2 改憲派団体「民間憲法臨調」と日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が共催した「第19回公開憲法フォーラム」。

*3 例えば医師の仕事は24時間365日、いつでも急患が発生したら対応しなければならないものである。感染症の患者を診察する場合、その感染症は人間である医師にも当然感染力を持つ。しかしいかなる危険があっても最前線に立つのは専門的な知識と技能を有する医師であるのは当たり前のことだ。
 あるいは福島第一原発事故の後始末に従事している作業員と比較してみてもいい。この作業は国家・社会を支えるなくてはならない仕事だが、彼らに公務員としての待遇も身分保障も与えられてはいない。

*4 不用意に左右という表現を用いたが、単純な一次元の分類が意味をなさない状況を考えると、これは僕が浅薄であると批判されるかもしれない。

憲法改正「2020年に施行したい」 首相がメッセージ

 

第193回国会反省会場 #2

 安全保障関連では、大島敦議員(民進党)らが領域等の警備に関する法律案(以下、領域警備法案)を提出していた。内容は4月に民進党を離党した長島昭久議員らが、2014年の臨時国会(第187回国会)で提出した同名の法案をベースに若干の加除修正を加えたものだった。制度の格子は、領域の警備に関して警察機関(海上保安庁含む)と自衛隊の役割分担を整理し、連携を強化する。原則として、領海と離島の警備は警察機関、領空は自衛隊が対処するものとする。警察機関の配備の状況や本土との距離などにかんがみて、対応に支障が生じるおそれのある区域を領域警備区域に指定し、自衛隊が領域警備行動を行うものとし、またいわゆるグレーゾーン事態のおける治安出動や海上警備行動を迅速に可能にするものとなっている。

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     民進党民主党)のパンフレットより引用

 15年の安保法制に反対の立場を採った民進党はともすると安保関連について何ら関心がないかのように印象操作されたりもする。しかし、時系列を確認すると、14年7月に安倍内閣憲法9条に関する従来の政府解釈(いわゆる昭和47年見解)を変更、その秋の臨時国会で当時の民主党領域警備法案を提出、政府与党はこれを事実上無視する形で審査未了とし、翌15年の通常国会で国論を二分した安保法制(政府略称、平和安全法制。以下15年安保法と呼ぶ)を提出して成立を強行した。
 政府の15年安保法よりも先に民主党領域警備法を提出していたことが分かる。なお、15年安保法が歴代内閣法制局長官最高裁判所判事、憲法学者から軒並み憲法違反と評価されたのは周知のことである(*1)。
 当時の議論を蒸し返すのは不毛な面はあるが、基本的な議論を確認しておく。
 特に憲法違反の批判を浴びた集団的自衛権は日本の防衛には無関係である。少なくとも憲法を無視してまで、直ちに法整備しなければならないほどの緊急性は見当たらなかった。またPKO活動の変質と相まって、現行憲法の制約を残したまま参画すると現地に派遣された自衛官が過酷な矛盾にさらされる可能性が高かった国連への協力活動も、より慎重に検討する必要があった。
 事実昨年の11月から15年安保法を根拠に駆け付け警護活動の任務を託されて順次派遣された南スーダン派遣施設隊第11次隊は、今年2月に発覚した南スーダンPKO先遣隊の日報が防衛省によって隠蔽されていた問題、これに関する稲田防衛大臣の二転三転する虚偽答弁を経て、今年3月に撤収することになった。
 日本の安全保障を考えると、喫緊の課題は台頭した中国の領域拡大、特に海洋侵出の野心に対する未然の防止策である。経済を含む相互の互恵関係の強化、環境問題、海洋資源管理等に対する共通の問題意識醸成など、多重の話し合いの席を設けることで容易に軍事的に高圧的な行動に出られない予防線の構築することが最も重要な策となる。適宜毅然とした外交ルートによる申し入れも重要である。
 これに加えて、最悪の場合の力による対応の強化を考えると、日本は海洋国家であり他の国との境界はすべて海で接していること、6852個もの島から形成されている条件からいって、領海と島の実効支配、武装勢力の早期発見・武装解除の体制を整え強化することが優先課題となるのだ。

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  日本の領海・排他的経済水域EEZ海上保安庁HPより引用

 懸案事項は軍事のみではない。14年秋に中国の漁船が小笠原海域で違法操業して貴重なサンゴが根こそぎ密漁された。日本政府は漁業主権法と外国人漁業規制法の改正で厳罰化した(*2)。すみやかな対応は一応評価できるが、海保のみによる対応でリソース不足を露呈したことを考えると、野党民進党提案という理由で、この領域警備法案をかたくなに無視し続ける姿は幼稚に見える。

以上

*1 私見も現行憲法集団的自衛権憲法9条1項に違反すると考える。合憲性の論証は政府あるいは法案に賛成する者が行うべきところ、当時違憲の論証を批判者にさせる倒錯した責任転嫁が横行したのは大変残念な議論であった。
 余談だが、安倍内閣はこの手の証明責任の批判者へのなすり付けをよく行う。今回の通常国会で噴出した森友学園土地不正値引き疑惑、加計学園獣医学部不正認可疑惑においても、疑惑追及をする相手に完全な証明責任を負わせるような強弁を繰り返した。そもそも政府に説明責任があること、文書・資料等が政府に偏在していること、政府の方が人的リソースが豊富であること、活動の資金力も政府が勝ること、それらが税金でまかなわれていることなど勘案すれば、きわめて卑劣な責任転嫁と批判されるべきだろう。

*2 2016年版海上保安レポートによると、「海上保安庁水産庁及び東京都が連携して厳正な取締りを実施してきたこと、外交ルートにおいても中国側に対して再発防止のための実効性のある措置を求めてきたこと、外国漁船による違法操業の抑止を図るため、違法操業等に対する罰金を引き上げるための法律改正が行われたことなど」により、平成27年1月下旬以降中国サンゴ漁船は確認されていないとされている。

第193回国会反省会場 #1

 今年の通常国会が閉会した。国会に提出される議案は多数に上るため、国民生活への影響が直接的なものや与野党対決型法案以外だとマスコミ報道でも見落としがちである。小さな案件や議員立法で事実上可決が見込めないようなものだと、報道すらされないものも多い。また自分が所属している業種、会社、学生なら専攻と関係しない分野に関する法案などは興味すら持たないで終わってしまうのが現実である。
 こうした多数の議案のすべてを取り上げて考察するのは、僕の能力には手に余る。そもそも時間もない。そうした制約の中で、いくつか目についた法案について考察してみたい。

 記述中の法案の審議状況は6月18日現在、衆議院参議院のウェブサイトで確認したものである。サイトの更新の関係で、情報が遅れている場合があり得ることにご注意いただきたい。

 政治資金関係の改革について、共産党民進党がそれぞれ議員立法を提出している。
 共産は政党助成法の廃止と政治資金規正法の改正をセットで提出した。共産案の骨格は、政党助成金と企業団体献金を共に廃止することで、政治活動を支える資金はすべて個人献金の浄財によって賄うものとすることである。政治資金パーティーは禁止しておらず、政治活動に関する寄附として処理することにしている。
 一方、民進党政治資金規正法租税特別措置法の改正をセットで提出した。民進案の骨格は、企業団体献金政治資金パーティーを禁止して、個人献金のインセンティブを作るために税額控除を拡充することである。また現行法において、世襲政治家が政治資金を非課税で移転することが可能な抜け穴になっている(*1)と批判されている政治団体間における寄附の上限額を年間5千万円から年間3千万円に引下げを提案した。

 政党助成法は1994年に成立した。80年代の中曽根税制で大幅な法人減税を実施し、財界の意向を受けて派遣法が制定され、一方家計には消費税導入で負担感が増したため、企業団体献金が財界の意向を政治が実現する対価の性格を強めてしまった。さらにリクルート事件東京佐川急便事件、ゼネコン汚職事件といった大型の汚職事件が立て続けに発覚したため国民の政治不信が非常に大きなものとなった。
 政治不信を受けた93年の解散総選挙自民党単独過半数を割り細川連立内閣が誕生する。細川内閣は、企業・労働組合などの団体からの献金の禁止を実現しようとしたが、収入の大幅減少が予想される自民党が大反発して税金から助成する政党助成制度を主張した。ところが細川内閣は衆議院比較第一党の自民をあえて外した非自民八党連立というイレギュラーな枠組みだった上、参議院のねじれを利用した自民党の徹底抗戦などの前にあえなく沈没してしまう。その後、羽田内閣を挟んで村山内閣で自民党が連立に復活する流れの中で、企業団体献金の禁止がうやむやになってしまった。
 結果、自民党は従来の企業団体献金に加え、政党助成金まで手にすることに成功し、自ら生み出した政治不信を逆手にとって焼け太りしてしまった。この状況が四半世紀経った現在も続いているのであり、どちらか一方は廃止するというのが筋といえる。確かに国家統治になくてはならないコストを十分に確保しつつ、政策決定が一部の大口献金者に有利なように捻じ曲げられない制度を作るというのは難問ではある。しかし、共謀罪法案の半分のエネルギーでも投入してまとめられない話とは思えない。このような話が毎回審議未了で持ち越されることは、政策の優先順位を誤っているからと批判されるべきだろう。

なお、共産党は一貫して政党助成法は納税者の思想・良心の自由に反し違憲と主張している。このあたりの問題意識につき、以下のサイトが分かりやすくまとまっている。
http://www.jicl.jp/now/date/map/11.html
http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/seito_1.html

 閣法として提出された民法改正は、5月56日に成立した。かなり大幅な改正なため、多くの人が勉強に追われているのではないだろうか。
 その裏でいわゆる選択的夫婦別姓を織り込んだ別の民法改正案も議員立法で提出されていた。提出者は井出庸生民進党)ら。一部で夫婦別姓は日本の歴史に反する、あるいは日本の家族観を破壊するという荒唐無稽な批判をする勢力がある。これは保守に擬態した似非保守の歴史ねつ造なので騙されないように注意したい。もっとも高校で古文や日本史をちょっとでも真面目に勉強してたら引っかかる方がどうかしてるのだが。

以上

*1 制度上の話であり、すべての世襲政治家がそのような租税回避をしていると決めつけるわけではない。これは各政治家の資金の流れを監査しなければ確定できない。問題は、制度が複雑なこと(例えば、政治資金管理団体政治資金団体の違いを説明できる有権者は全体の何パーセントいるだろうか?)、情報公開の仕組みが複雑なことから(選挙区によって総務省都道府県選管等、政治資金収支報告書が分散している)、有権者の目が絶望的に届きにくいのにもかかわらず、法制には穴があることである。

共謀罪法案採決に透けて見えたポピュリズム

 今回の通常国会(第193回国会)に提出されていたいわゆる共謀罪法案(テロ等準備罪、より正確には組織犯罪処罰法改正法案)が可決された。法案の可決自体は現在の与党の圧倒的議席数からみて予想できた結果ではある。驚いたのは参議院での採決の手続で通常とは異なる手続が採られたことだ。
 まず通常の法律案を審議する手続を確認しておこう。
 法律案は衆参両院で可決されたときに成立して、法律となるのが原則である。国会は衆参二院制が採られているので、先議の院の(1)委員会、(2)本会議、後議の院の(3)委員会、(4)本会議と4回の表決(採決)を経ると成立することになる。採決は会議体の原則とおり過半数で可決する。
 法案の修正や後議の院で否決されるなどがなければ、通常はこの4回の表決によって法律は作られる。
 ここで委員会とは、各議院の本会議とは別に設けられた会議体である。国政はきわめて多岐の分野に及ぶことから、審議される議案も多種多様な分野に及ぶ。理想はすべての国会議員がすべての分野に精通して、全員ですべての議案に徹底した審議を尽くすことだ。しかし現実には難しい。そこで各議院にいくつかの委員会を設置し、議員は自分の専門性が活かせる委員会に所属する(*1)。審議対象となる議案は本会議の前に最も関係が深い委員会に付託される。これによって集中的に専門的な審査を可能とするのである。善悪はともかく、現実に本会議より委員会審査の方で実質的な争点に関する質疑が行われることが多い。

 今回の共謀罪法案は衆議院先議で提出され、5月19日に法務委員会、23日に本会議で採決された。その後、参議院に送付され、昨日6月14日まで参院法務委員会に付託され審査されていた。15日未明から参議院本会議で中間報告を行う動議が可決され、本会議採決の動議がなされ、早朝7時過ぎに本会議で可決された。

 ここで関係する条文を確認しておこう。

参議院規則
第73条 常任委員会が調査中の事件について、議院に中間報告しようとするときは、委員長から書面でその旨を議長に申し出なければならない。
 前項の要求があつたときは、議長は、これを議院に諮らなければならない。
※法務委員会は常任委員会の一つである。

国会法
第五十六条の三  各議院は、委員会の審査中の案件について特に必要があるときは、中間報告を求めることができる。
○2  前項の中間報告があつた案件について、議院が特に緊急を要すると認めたときは、委員会の審査に期限を附け又は議院の会議において審議することができる。
○3  委員会の審査に期限を附けた場合、その期間内に審査を終らなかつたときは、議院の会議においてこれを審議するものとする。但し、議院は、委員会の要求により、審査期間を延長することができる。

 
 中間報告については、委員会の側から行う参議院規則73条による場合と本会議の側から求める国会法56条の3の場合の2つがある。今回は後者の場合で本会議から求める決議がなされた。国会法56条の3の中間報告がなされた案件は、同2項が定める一定の要件の下で、そのまま本会議の審議に付することができる。本会議では、他に特段の定めがなければ、会議体の一般原則として審議中に構成員たる議員が各種動議を発議することができるし、その中には採決の緊急動議も含まれることになるだろう。今回はこの手続が用いられた。

 それではこの採決が正当なものと言えるか検討してみよう。
 まず要件の面で「議院が特に緊急を要すると認めたとき」、つまり委員会の審査を途中で打ち切って表決を回避し、本会議に付するほどの緊急性があったかが問題となる。仮に政府が主張するように、TOC条約の締結に共謀罪が必要不可欠なのだとしても(*2)、第二次安倍内閣発足から数えても丸4年以上国会提出してこなかった法案、条約締結にいまさらそこまでの緊急性があるはずがない。さらに東京五輪のテロ対策に必要不可欠な法制なのだとしても(*3)、まだ五輪まで丸3年以上ある。
 中間報告からの本会議採決が一応法定されている制度とはいえ、あえて特殊な議決方法を用いるような「緊急性」があるとは到底いえない。野党が批判するように、事実上、委員会の審査から逃げて採決を強行した意味が強いだろう。

 今回の異常性は議席数の面からもうかがうことができる。
 参議院法務委員会は定数20人。このうち自民党9(参議院議長職にあるため会派を離脱して無所属となっている伊達忠一氏を加えると10)、公明党2、日本維新の会1。このように賛成派は少なくとも13/20を抑えており、通常の表決で十分に委員会通過可能な状況にある。
 また参議院本会議の全議席数は242。現在、与党会派は自民党121、自民党と会派を共にする日本の心2、無所属3、公明党25。これに共謀罪法案に賛成して、安倍自民と歩調を合わせることが多い補完勢力である日本維新の会12。
 以上を足し合わせると、163人が共謀罪法案に賛成することが見込まれる。これは憲法改正の発議に必要な総議員の2/3以上、162議席をも上回る。その他の与党とともに行動する可能性がある日本を元気にする会など泡沫無所属の力を借りる必要性すらない。
 共謀罪法案は通常通りのやり方で、まず参議院委員会表決をして本会議に報告、審議、表決するという手続で成立させることができたはずなのだ。日程的にも、通常国会の会期は6月18日までで、23日告示の都議会選挙を見越しても数日なら延長可能である(*4)。今回のような手順を採る必然性はまったく見当たらない。

 従来日本の刑法は、犯罪行為としての類型性が弱く、危険性が低い予備・準備行為の処罰を例外としてきた。今回の共謀罪法案は、2人以上の共謀がある場合のみとはいえ(*5)、予備・準備行為の処罰を逆に原則とするほど広範なものである。刑法という社会の基盤を形成し、国民の人身の自由に直結する法典の原則と例外を入れ替える法案審議のあり方としては、きわめて拙速かつ本筋から外れた手法と非難されるべきである。

 では、安倍内閣、与党自公、および補完勢力の日本維新は、国会で圧倒的議席数を保有しているにも関わらず、あえてこのような乱暴な手続を行った動機はどこにあるのだろうか。僕はここには2つの狙いが隠されていると推測している。
 第一に彼らの野心である憲法改正を実現する地ならしである。5月3日に安倍首相(本人は自由民主党総裁衆議院議員としての発言とうそぶく)が憲法改正に具体的に言及したビデオメッセージが公開されて以来、現在の衆議院議員の任期が満了する2018年12月までに憲法改正発議を目指す動きが加速している。
 それまでに、従来の慣例を一つでも二つでも破ってみせることで、先例などないがしろにしても構わないものなのだという空気を国民の間に醸成する。少しでも憲法改正国民投票を賛成有利に傾かせたいのだ。
 第二に現在の安倍自民や日本維新の支持層へのアピールである。近年ネット世論を中心に従来型のいわゆるサヨク、リベラルに対して反発する層が急速に拡大した(*6)。彼らの特徴は単なる反サヨク、リベラル嫌いである。さしたる知識も知能も持ち合わせていない。既存メディア、野党、有識者らが批判するなら逆に良いことだと逆張りで判断する。そういう自分たちが気に食わない連中が嫌がること、悔しがることをやってのける自民や日本維新を支持して一体感を感じることに喜びを感じる。今の自民そして日本維新はこうした層を支持層に取り込んでいる。
 今回の強行なやり方はこのような連中をさらに熱狂させ、支持層を強固に固めることにつながると値踏みしたのだろう。
 どこまでいっても私利私欲のみで外連味(けれんみ)にまみれた発想しかもたないのが安倍内閣である。そもそもテロ等準備罪という政府略称からして羊頭狗肉である。
 日本の有権者の大多数は極論によらない程度にはバランス感覚を備えている(*7)。だがしかし、そのような良識ある多数派のアパシー政治的無関心、不感症とでも言うべきか)が続く限り、安倍内閣によるチープなポピュリズムは続くことになる。

以上

*1 国会議員は経歴を見ても分かるとおり、僕たち一般人から比べると極めて優秀な人が多い。しかしその人の専門分野の委員会に固定で所属するとは限らない。また、世襲、有名人の中には、基本的素養に疑問があるのに当選してしまう人もいる。所属委員会で勉強するという本末転倒な面があることは否定できない。

*2 もちろん不可欠ではない。

*3 テロ対策とも関連性があるとは言えない。参院法務委員会委員でもある自民党法務部会長の古川俊治氏も認めていたとおり、当初から「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画等」(法案提出理由)の「その他」、「等」の方に重点が置かれていた。
 また政府答弁でも途中からテロ対策は消えることになる。

*4 森友学園土地不正値引き問題、加計学園獣医学部不正認可問題など、第一次からお約束の首相のお友達優遇スキャンダルが噴出している都合上、政府与党は一日も早く国会を閉会したいという都合はある。

*5 むしろ従来予備罪がなかった犯罪に広範な共謀共同正犯を創設したともいえる。この要件も、準備行為を行っていない者まで処罰されうる分、単独犯のみ処罰する場合より外延が不明瞭に拡大されたと評価するべきなのかもしれない。

*6 ようするにネトウヨ、アフィチルと呼ばれる有象無象のこと。しかし扇動的でネット上でデマの拡散に大きく貢献するので、彼らの影響力はバカにできない。

*7 そのように信じたい。もっとも秩序を守る国民性ということは、空気に流されやすく、全体主義的なしつけがなされてる面はある。

共謀罪批判で取り上げられた設例はあり得ないような極論なのか

 肥満の目安となる指標値にBMIというものがある。Body Mass Index(ボディ・マス・インデックス)の略称である。
 計算式は、体重(kg) ÷ 身長(m)の2乗。
 身長はcmではなくmで計算することになっていることに注意が必要だ。ちなみに日本肥満学会では、BMIが22を標準体重としているそうである。その他に興味がある方は、下表を参考にしてください。

日本肥満学会の肥満度判定基準  
BMI 肥満度判定
18.5未満 低体重(やせ)
18.5~25未満 普通体重
25~30未満 肥満(1度)
30~35未満 肥満(2度)
35~40未満 肥満(3度)
40以上 肥満(4度)


 突如BMIの話が始まったが、タイトルのつけ間違いではない。最後に話がつながるので、もう少しお付き合いください。
 ここで身長と体重の入力をすると自動でBMIを計算して表示してくれるコンピュータープログラムを考えてみよう。

 BMIを知りたい人がキーボードで自分の体重を入力する。これをプログラム内部では変数(入力値を記憶しておく容器のようなもの)Wで受け取る。次に身長の入力を変数Hで受け取る。身長は通常cmで表記するから、これを100で割ってm単位に換算するのを忘れずに。

BMI = W / H2

 この計算結果を表示しておしまいだ。実に簡単なプログラムである。

 しかし、体重にマイナスの値が入力されたらどうか。あるいは身長500cmなどとあり得ない数字が入力されたらどうか。
 このことは特に身長Hに0(ゼロ)が入力された場合を考えると重大な問題であることが分かる。BMIの計算式はW / H2。したがって、H = 0 だと0による除算が生じることになる。これは数学的に未定義だから、このプログラムは暴走してシステムごとダウンさせてしまうかもしれない(*1)。
 よって、キーボードからの入力値が不正な値でないか、計算式の前でチェックすべきである。実際、入力値をチェックすることはプログラミングの当然の作法となる。

// 体重の入力値確認
0 < W < 700 を満たしているか?範囲外なら再入力を促す。(*2)
// 身長の入力値確認
0 < H < 300 を満たしているか?範囲外なら再入力を促す。(*3)
// 身長をcmで入力受付したのでm単位に換算する
H = H / 100  
// 計算する
BMI = W / H2

 これで完成だ。ところで、この入力条件は正しく動作するだろうか。公開する前に当然テストするだろう。
 Wについては、0以下の値、0 < W < 700の値、700以上の値の3つに分けて様々な数字を入力し、正しく動作するか確認する。
 Hについては、0以下の値、0 < H < 300の値、300以上の値で検査する。特に境界付近の値は念入りに確認することになるだろう。
 不等号 < のつもりが ≦ になってたら問題だ。Hで0を間違って受け付けてしまうと、稼働システム全体を巻き込んでダウンさせてしまう。必ず0を入力してみて、再入力を促してくれるかどうか確認するべきだ。

 いわゆる共謀罪(テロ等準備罪、より正確には組織犯罪処罰法改正案)の衆議院法務委員会審議で野党が持ち出した設例、あるいは一部マスコミが報道した設例が極論であると批判する向きがある。

 「キノコとか竹とか山の幸を無許可で採ってもテロの資金源だから共謀罪、という話があった。海産物、海の幸はなぜ入っていないのか」(民進党山尾志桜里
 「音楽教室著作権料を支払わずに楽譜を使って演奏し、著作権法違反になれば、普通の団体も組織的犯罪集団に当たるのでは」(民進党枝野幸男

 法案を所掌する法務省幹部に言わせると、保安林内のキノコ狩りを処罰することが目的ではなく、テロ資金源となり得る樹木や土砂の不法採取を抑止することが目的だという。
 あるいは著作権法違反は組織的犯罪集団の資金源になっているCDやDVDなどの海賊版の製造販売などを対象と考えているという。
 法案賛成派は、野党の持ち出す設例は極論でいたずらに不安を煽る、反対のための反対であると批判する。

 どちらの言い分が正しいのだろうか。
 ここで問題となる条文は、改正法第6条の2、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画」というものだ。
 法学部で学んだ経験がない人は、国会あるいは法務省のホームページに掲載されている改正法案を一目見て挫折するぐらい細々としたことが書かれている。
 その上、犯罪の主体となるテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の定義には別表三列挙の犯罪、処罰の対象となる犯罪は別表四に列挙の犯罪、別表四の一で別表三の大部分の犯罪を引用しているなど、正しくたどるのに神経を使うかなりトリッキーな構造になっている。
 話を単純にするために(と言っても、かなり長いが)上の野党議員が提示して、政府(法務省幹部)が反論した2つの例の部分だけ引用する。

別表三
二十五 森林法(昭和26年法律第249号)第198条(保安林の区域内における森林窃盗)、第201条第2項(森林窃盗の贓物の運搬等)または第202条第1項(他人の森林への放火)の罪
五十五 著作権法(昭和45年法律第48号)第119条第1項または第2項(著作権等の侵害等)の罪

 これらの「遂行を2人以上で計画」し、「その計画をした者のいずれか」が、「計画をした犯罪を実行するための準備行為」をしたときは罰するとされている(*4)。

 ここから明らかなように、条文上は保安林の区域内における森林窃盗すべてが対象なのであり、政府が主張するような、樹木や土砂のみが対象とは書かれていない。あるいは著作権、出版権、著作隣接権著作者人格権、実演家人格権、営利目的での自動複製機器供与を広く対象としているのであり、政府が主張するようなCDやDVDなどの海賊版の製造販売のみが対象とは書かれていない。
 批判が極論だと言うなら、そのような絞り込みを条文上明示すべきなのだ。
 正常な数字を入力する限りプログラムは暴走しない。しかし異常値を入力したら最悪システムごとダウンさせる重大な被害を引き起こす。手違い、勘違いで異常値を入力することもあるだろうし、悪意のあるハッカーがシステムを攻撃する意図で異常値を入力することもあるだろう。
 法律も同じことだ。
 政府の説明は、プログラムに入力値の判定ルーチンを入れないと危険ですよね、という指摘に対して、

「私たちは体重にマイナス値を入力するなんてことはしません。なんで身長に500cmなんて数字を入力するんですか。だって私たちが入力するんですよ。そんな値を入力するわけがないんだから、判定ルーチンなんて組み込む必要はないんです。」

と言うに等しい。
 法律が適切に機能し、悪意のある者が異常値を入力しても問題が起こらないように制度設計する。そのために字義通り無限に存在する数字の中で、あえて0を入力して、それでもシステムがダウンしないことを確認する必要がある。
 野党の指摘は極めてまっとうなものだ。条文に書かれていない僕ちゃんの頭の中にだけある話を法律であるかのように語る政府は間違っている。参議院審議で大幅修正を受け入れない限り、廃案にするのが適切である。

以上

 *1 プログラミングの知識がある人から、ねえよ!とツッコミがあるかも。処理系によって取り扱い方は様々だが、現在のプログラム言語では0での除算が発生した程度でプログラムが停止したり、システムをダウンさせたりするような重大なエラーは生じない。ただし未定義なので、絶対に正しい結果を戻さない計算式であることに違いはない。

*2  体重の世界記録はジョン・ブラワー・ミノックさん(1941 – 1983)の635kgだそうです。

*3 身長の世界記録はロバート・ワドローさん(1918 - 1940)の272cmだそうです。

*4 本稿では、対象となる犯罪を問題としている。犯罪の主体である「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」の議論はまた別である。機会があったら考察してみたいが、一言でいうと定義がトートロジーとなっていて機能しない。条文上は何らの絞り込みも入っていないのである。

大日本帝国への復古を語る危うさ

 1か月ほど前のAERA西部邁中島岳志の対談記事(*1)が掲載された。
 内容は保守と右翼の違いについてである。
 一時的とは言え駒場時代に学生運動に関わり、その後かつての仲間がテロリスト化したトラウマから、極度の大衆民主主義批判をライフワークとする西部が、真正保守なのかは多少疑問もある。
 また上の記事中でも言及されてはいるのだが、ネット言論が普及する過程で従来のアカデミックな場あるいは論壇でマイノリティーに過ぎなかった”保守”論調を無自省にまき散らしたために、昨今の煽動された”ふつうの日本人”=ネトウヨを大量に生み出したのはあなた自身ではないかというツッコミもあるかもしれない。

 ただ保守の定義という一点に着目するとなかなか興味深い示唆を与えてくれている。僕なりに要約するとこうだ。

保守の要件
1 懐疑主義、特に人間の理性に対する懐疑
2 国家有機体説
3 漸進主義

 人間ごときが頭で考えることは所詮不完全である。一方、社会あるいは国家というものも極めて複雑にあらゆるものが相互に関わり合いを持ちながら、かろうじてバランスを保っている。あたかも生き物のように繊細なものだ。したがって、現在の社会のあり方───従来からの伝統や習慣───には、一定の合理性が潜んでいる。
 そこで、仮に現在の社会に問題があるとしても、僕ちゃんが考えた最強の社会制度を大上段に振りかざすべきではない。また伝統や慣習に盲従するべきでもない。伝統や慣習から歴史の叡智と言うべき考え方を抽出する努力をし、一方現実の問題から目を背けることなく、あらゆるものに常に疑いを持ち、慎重に議論し、緩やかに改革していくのが正しいスタンスなのだ、と。

 仮にこの保守の定義が正しいとするならば、大日本帝国への復古を主張することは保守ではない。まだ人類が経験したことがない社会実験───進歩派が主張する理性による完全な社会───に対して懐疑する。いわんや人類が既に経験した社会実証をや。歴史上すでに失敗することが実証されたものを無批判に美化し、あるいは失敗を糊塗して歴史修正し、そこへの回帰を求める主張に一片の懐疑など含まれてはいない。
 少なくとも何が原因で失敗したのかを分析して率直に受け入れるプロセスなくして行えば、物理法則に近い確率で同じ間違いを犯すことになるだろう(*2)。

 そして西部邁が何者であるかはともかく、この保守の定義は進歩思想との違いを明らかにしており、自分自身が物事を考える上での指針を示している。それなりに説得的なものだ。
 保守とは、実践する思考なのであり、道を間違えないための指針である。その意味で進歩思想と矛盾するものではない。ただ進歩思想が積極的に正解を模索するのに対して、保守は消極的に間違わないことを探求すると言えるかもしれない。懐疑と漸進主義という保守からの問題提起を取り入れる進歩思想ならば、保守以上に保守に接近することさえあり得る。
 保守というのはファッションではない。保守を自称することに意味はない。保守と革新の二分論で世の中の諸事を仕分けし、保守的なるイメージのものだけを選んで満足するなら、もはや単なる宗教だろう。

 急進的に大日本帝国への復古を目指す自称”健全な保守”の某政党と”日本をトリモロス”某御仁。西部と中島も彼らには直接言及していない。しかし、歴史を学ばず懐疑しないかかる勢力が似非保守であることは明らかである。もちろん進歩的でもない。煽動される側もまたしかり。

以上

*1 Web版

dot.asahi.com
*2 デイビッド・ヒュームに倣うなら、その物理法則にすら懐疑を向けるべきではないか、という揚げ足取りはもちろん不要である。物理の問題で言うなら「ただし空気抵抗は無視するものとする」。
 この難問を考察するには、僕はまだ進化が足りないのだ。