ほー原人のブログ

原人からヒトへと進化するための考察。法律関係がメインとなると思います。

憲法9条改正についての考察

 憲法9条1項2項をそのままに、同3項または9条の2で自衛隊を明記するという安倍首相の5月3日の提案を検証してみたい。まず基本に忠実に条文を確認しておく。

日本国憲法第9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 大雑把に言えば、1項は国家(ないしは政府)の作用面の規定で、戦争の禁止を定めており、2項は国家の組織面の規定で、戦力の不保持を定めている。
 まず単純に3項に自衛隊を規定した場合を考える。

3 日本国は自衛隊保有する。

  これだと1項2項の制限は3項の自衛隊にかかることになる。したがって、自衛隊国際紛争を解決する手段としての(1)戦争、(2)武力による威嚇又は武力の行使をすることができず、(3)戦力には当たらない範囲の組織に制限されることになる。事実上、現状追認を明文化したことになり、憲法9条をめぐって過去に展開されてきた議論をそのまま制度として固定化することを意味する。
 これは安倍首相ら改憲派が望まないことだろう。

 そこで次のような規定の仕方が考えられる。

3 前二項の規定にかかわらず、日本は自衛隊保有する。
※仮に9条の2に追加する場合、「前条の規定にかかわらず」となるだけで、特に違いは生じない。

  「前項の規定にかかわらず」というのは、まず原則を明らかにした上で例外を定める時に用いられる立法技術である。漢字を当てると「拘わらず」である。「関わらず」や「係わらず」ではない。漢字なら意味も一目瞭然なのだが、法令文ではひらがなで表記するのが一般的だ。
 この例でいうと、1項で戦争の禁止、2項で戦力の不保持という原則を明らかにして、3項でその例外として自衛隊保有することを定めたことになる。したがって、自衛隊には1項2項の制限が及ばないから、自衛隊は1項が禁止している侵略戦争も(政策的な当否は別として憲法上は)禁止されないこととなる。
 しかし改憲派でも1項の戦争の禁止まで全面否定する論者は極めて少数である。この条項は、1928年のパリ不戦条約から国際社会で受け入れられた戦争の違法化の流れを組むもので、1945年の国連憲章(日本は1952年に加盟)、その後制定された多くの国の憲法でも同様の趣旨の規定が置かれているとされる(*1)。
 実は安倍首相がいう「自衛隊違憲とする議論が成り立たなくするために、加憲して自衛隊を明記する」という主張はこれを狙っているのかもしれない(*2)。しかし、安倍首相と彼を支える憲法改正さえできれば何でもいいと考える一握りの勢力を除くと、自民党内ですらコンセンサスが得られないだろう。もちろん国民投票がある憲法改正は、これまで安倍内閣が強行してきた15年安保法制や組織犯罪処罰法改正のようにはいかない。
 常識的なアプローチを考えるなら、よりきめ細かく例外を規定する必要がある。

3 前二項の規定にかかわらず、日本は、個別的自衛権を行使する目的で、自衛隊保有する。

  これなら1項2項で原則全面禁止されている武力の行使のうち、個別的自衛権の行使のみ例外的に可能であることが明らかとなる。
 それではこの要領で何を可能として何を禁止すればよいか。すなわち上の設例の「個別的自衛権を行使する目的で」の部分には他にどのような活動が列挙されるべきだろうか。
 国連憲章は紛争の平和的解決を原則とするが(第6章)、42条以下で例外的な軍の行動を定めており、さらに51条で個別的自衛権および集団的自衛権を定めている。しかし、どの活動に参画するかは国民的な理解と合意が存在しているとは言えない。
 例えば、日本は個別的自衛権を行使できるかという論点について考える。「個別的自衛権保有していて行使もできるが、集団的自衛権保有しているが行使はできない」と標語的に言われるが、これは厳密ではない。
 昭和47年政府見解とその前後で現れた国会答弁を総合して判断する限り、従来日本政府は個別的自衛権のうち日本の領域内に限った必要最小限の武力の行使のみを許容する解釈を採用している。つまり個別的自衛権の一部のみしか認めていない。これは領域外での自衛戦争まで拡大すると、警察力の延長としての自衛のための活動としてでは説明が難しくなるからである(*3)。
 したがって、他国領域に存在する基地から日本に向けたミサイルが今まさに発射されようとしているとき、この基地を攻撃して発射を阻止できないことが不都合だと批判される(フルスペックの個別的自衛権が行使できるなら阻止できる)。
 あるいは日本も1992年以降参画している国連平和維持活動(PKO)ですら問題がある。日本のPKO活動の根拠となる国際平和協力法の立法段階では戦争に巻き込まれる可能性があるとする当時の野党が反対した。これに対して政府与党は、PKOが紛争当事者の間で停戦合意が成立したのちの平和維持のための活動であることから(*4)、国際紛争を解決するための武力行使には当たらないとして強行した経緯がある。
 ところが1994年のルワンダ内戦以降、一度成立したと思われる停戦合意が破棄されてPKO活動中に紛争が再燃したり、国連自体が紛争当事者として積極介入したり、あるいは平和の維持が困難な地域の避難民や国連職員など文民の保護といった要請が加わった。その結果、派遣された自衛官にとって、当初想定した以上の過酷な状況に直面する危険性が増えている。PKO活動が変質して、当時の野党の懸念が現実に近いものとなってしまったともいえるだろう。
 日本として何をやって何をやらないか、特に相手国領域内のミサイル基地の攻撃やPKOの変質にみられるような境界事例の検証と線引きを行うことは重要である(*5)。憲法を改正する前に国民的な議論を成熟させない限り、3項加憲の成案は作れないのである。
 安倍首相のメッセージを受けて、勢いで押し切りたい改憲派が考えるほど簡単な問題ではない。

 私見では、個別的自衛権は積極、集団的自衛権は消極、国連の活動については積極である。しかし積極といってもあらゆる活動を認めるべきとは思わないし、集団的自衛権にしても同盟関係を前提に地理的要件で絞れば、認められないとも言い切れない例があるだろう。きめ細かい設例を通した検証が不可欠である。
 また特に国連の活動に関して、一度参画しても現地情勢が大きく変化した場合の自衛隊の安全な撤収の確保をどうするかは大きな課題だと思われる。
 
以上

*1 西修駒澤大学教授の研究によると、2016年6月現在、世界には成文憲法を持つ国が188カ国あり、そのうち84%にあたる158カ国の憲法に平和主義条項が設けられている。

*2 もちろん1項2項の制限が及ばないとしても、自衛隊憲法の外に置かれるわけではないから、依然合憲性を検証されることにはなる。例えば、指揮命令系、文民統制、予算などの面で明文規定はなくとも憲法の趣旨に反すると評価される可能性はある。

*3 私見では、現行憲法の解釈としてはこれが正当だと考える。

*4 PKO参加5原則では、
(1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
(2)国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
(3)当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
(4)上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。
(5)武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、いわゆる安全確保業務及びいわゆる駆け付け警護の実施に当たり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能。

*5 特に日本政府は「何をやらないか」を語ることを嫌うように思う。政府の活動は極力白紙委任に近い状態にして、その時々で自分たちの好きなようにふるまいたいという思惑が強すぎるのだ。
 なおこれに関連して、現行法で自衛隊の活動をポジティブリスト形式(許可される活動を列挙する。その他は原則禁止)で定めているところ、ネガティブリスト形式(禁止される活動を列挙する。その他は原則許可)に切り替えるべきであるとする議論がある。いまだ既成事実さえ作ってしまえば勝ちという政治手法を多用する節操のない自民党に信頼がない。またネガティブリスト形式を主張する論者の多くは自衛隊制服組出身者が多く、彼らのメンタリティは軍人的な作戦行動を自由に遂行できれば便利というプラグマティズムに基づくものに過ぎないこと。これらを理由に、現状では消極と解したい。